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人生でまだ一度も向き合う機会が無かった方に読んで欲しい「京都介護殺人事件」

我が身に置き換えると涙が止まらない… 皆さんは「お金」と「心」の準備ができていますか?

 

時々、メディアを通じて「介護の果てに起きてしまった殺人」といった凄惨な事件を目にすることはありませんか?ニュースとして目にするだけでは他の殺人事件と同じように捉えてしまうことでしょう。しかし介護に関する事件は、ドキュメンタリーとして触れること、つまり自分事として捉えられるかどうかで、その見方が大きく変わると言われています。

 

 

介護での虐待や殺人が減らないという現実

 

世の中で殺人事件が起きた時、自分の居住地から遠い地域とか、自分や家族の年代とは違うとか、どことなく「他人事」として捉えてしまうのではないでしょうか。

しかし、介護殺人は同じ殺人事件でも、捉え方が少し変わるといわれます。何となく想像がつくかとは思いますが、殺人者を擁護する人が一変して増えるのが、介護にまつわる殺人事件の特徴なのです。

 

なぜそうなるのか。

 

それは他人事として見ていたニュースを、我が身に置き換えることで起こといわれています。世の中で起こる「どこか他人事な殺人事件」ではなく、まるで連続ドラマのストーリーのように、全国各地で「介護殺人」が起こる可能性があるためです。

厚生労働省の統計によると、殺人までは至らないまでも、高齢者に対する虐待等は年々増加傾向にあります。そのうち、2021年中には13件もの介護殺人がありました。理由はさまざまですが、高齢者人口の増加もその一つでしょう。さらに2020年初頭から始まった「コロナ禍」も追い打ちをかけたといわれています。

 

 

出典:厚生労働省 令和3年度「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」に基づく対応状況等に関する調査結果より

 

いまや介護は社会的に大きな問題として、私たちのごく身近なものになっているはずです。

しかしその一方で、実際に介護に関わることで起こる苦しい出来事は、近親者の介護が必要になり嫌でも実感することが無い限り、なかなか他者には伝わりにくいものです。ただでさえ自分たちの生活を守るのに必死なのに……そんな声も聞こえてきます。

 

「○○さんち、いよいよ自宅での介護が始まったんだって。大変だよねぇ」

 

こうした会話は今や、日常的に交わされるものの一つです。しかし「何がどう大変か」というところまで思い至る人は、日本全国に一体どれくらいいるのでしょうか

今回の記事は、近親者に幸いながら介護が発生することがなくここまでの人生を歩んで来られた方、あるいは介護殺人事件の凄惨な実態にはまだ人生で一度も向き合う機会が無かった方へ、転ばぬ先の杖を備え始める“きっかけ”になればとの思いで、お届けしたいと思います。

 

 

実際の事件を自分に置き換えて考えてみる

 

2006年2月1日、京都府伏見区を流れる桂川の遊歩道で、同区内に住む無職の男性が86歳の自分の母親を絞殺、自分も死のうとしたが気を失って倒れているところを通人に発見されるという事件が起こりました。ここに至るまでの親子二人の苦悩を振り返ってみましょう。

 

 

京都府伏見区 介護殺人事件

 

 

殺人犯となってしまったのは、当時54歳だったYさん。

長年、年老いた両親とYさんの3人家族で生活してきましたが、1995年に父親が病死した後、府内のアパートにて母親とYさんの二人だけの生活が始まりました。ほどなくして母親が認知症を発症、10年が過ぎる頃には症状が進み、やがて昼夜逆転の生活となります。週のうち3~4日は徘徊して警察に保護されるようになり、Yさんが勤務している時間帯でも構わずにその状態は続きました。

 

Yさんは派遣社員としての工場勤務を何とか続けていましたが、母親の介護のために休職を余儀なくされます。収入が無くなったことから生活保護を申請しましたが、「休職中であること」や「まだ働ける年齢であること」を理由に、認められなかったようです。もちろん生活保護の申請は1回だけではありませんでしたが、そのたびに「まだ働ける」といわれ、生活が困窮していることへのアドバイスもありませんでした。

 

結局、Yさんは派遣の仕事を退職し月に10万円ほどの失業給付金を手にしますが、それでも親子二人が必要な介護サービスを受けながら生活していくには足りません。2005年12月には失業給付金も止まり、本当に収入が無くなってしまいました。この頃にはカードローンも限度額一杯になっており、介護費用やアパートの家賃も支払いができなくなりました。当時の食事は、母親は1日2回、Yさんは2日に1回という状態だったようです。

 

年が明けた2006年1月31日、家賃の支払期限の日にYさんは自宅を掃除し、母親を連れて最後の旅に出ます。しかし手元に残っているのは、わずかな現金のみ。母親が乗った車いすを押しながら、三条の繁華街などを歩いて回りました。コンビニでいつものパンとジュースを買い、Yさんと母親は最後の食事を済ませます。

死に場所を探して桂川の河川敷で足を止めると、Yさんは母親に「もうお金ないんや。ここで終わりや」と告げます。その力ない声に母親は「お前と一緒やで」と答え、二人は頬をくっつけます。母親の「Yはわしの子や。わしがやったる」の声を聞くと、Yさんは母親の首を思いっきりしめ殺害しました。その後Yさんは自分も死ぬために近くの木で首を吊ろうとしましたが、ロープがほどけてしまい意識を失って倒れます。約2時間後に通行人に発見され何とか命を取り止めた、というのがこの事件の概要です。

 

なぜこのような事件が起きたのか

 

Yさんが介護殺人を犯してしまうまでには、たくさんの苦悩や葛藤があったことでしょう。当事者ではない私たちはあくまでも想像しかできない、本当のところはご本人にしか分からないのかもしれません。

しかしながら、自分の母親を手にかけるという決断をするまでの間、いくつかのターニングポイントがあったのではないか――、この事件を自分事に置き換えた時、皆さんはどう考えますか?

 

ターニングポイント、それは母親が認知症を発症した時かもしれませんし、徘徊を繰り返すようになった時かもしれません。 また、当時と現在では自治体の対応も変わっているのではないか、受けられる介護サービスは本当にデイサービス以外に無かったのか、地域包括支援センターやケアマネージャーへの相談はできなかったのか、介護費用を捻出できる制度などは無かったのか等々……。

もしも、自分が一人で認知症になった親の介護をすることになったら、あなたならまず何をしますか?この記事を読んでいるあなたが40代や50代であるなら、「親の介護」が必要な時はすぐそこまで来ています。いざという時に慌てないためには、まだ親が元気なうちから「その時のための準備」をしておく必要があることにお気付きでしょうか。

 

 

誰も救われない「介護殺人」を起こさないために

 

介護者が被介護者を殺めてしまう介護殺人。では介護者と要介護者の生活を振り返りながら、ターニングポイントについて考えてみましょう。

まず、親の介護が必要になる原因、現在の第一位は認知症であることをご存知でしょうか。

 

 

そもそも認知症になる理由もさまざまではありますが、この場合は「伴侶の死」もその一つだったかもしれません。そして親が認知症になったかもしれないと思った時、あるいは認知症になってもおかしくない年齢になった時、子どもである自分は何をすべきなのでしょうか。

 

 

さらに、介護者と被介護者、自分たちと親との生活環境も考える必要があります。

 

 

前述の「京都伏見」のケースのように「親の介護のために仕事を辞める」と考える人もいるかもしれませんが、それは必ずしも良い結果を生むとは限りません。

 

 

もちろん、誰かに介護を丸ごとお願いできるなら「楽」なのかもしれませんが、そこには必ず「費用」という問題が生じます。

 

 

もしも親や自分に貯蓄がなくて介護に必要な費用が捻出できない場合、地域包括支援センターやケアマネジャーなど、介護のプロに相談することもできます。低額な介護施設への入居を模索してくれたり、国や自治体が提供する制度を紹介してくれたりもします。

 

 

まとめ:介護の準備はし過ぎて困ることは無い

 

親の介護は突然始まりますから、本当に困った時に何かを始めても時すでに遅し、です。けれども、自分も親も元気な今ならば、まだ間に合うこともたくさんあるのではないでしょうか。例えば、次のようなことを予め調べておくことはできるはずです。

 

  • 親が生活するエリアの地域包括支援センターの場所や連絡先
  • 介護のプロであるケアマネージャーへの連絡方法
  • 親や自分の生活範囲内にある介護施設や介護事業所
  •  今の生活からの介護費用の捻出方法

 

そして何よりも大事なのは、「親はどのような介護を望んでいるのか」を知っておくことです。兄弟姉妹がいるなら、介護への負担をどのように分担するかを予め決めておくことも大切です。費用への不安があるならば、ファイナンシャルプランナーに相談して「今の家計の見直し」も必要かもしれません。

 

今回ご紹介したYさんの事件、母親が認知症を発症したのはちょうど介護保険制度がスタートした頃であり、今よりは介護サービスそのものを利用しにくかったかもしれません。そもそも「認知症」という言葉が使われるよりも前のことですから、周りの理解や「介護に向けた準備」を十分にすることは難しかったでしょう。

 

しかし、今は違います。

 

親の介護が始まったら子ども世代の生活はどう変わるのか、いずれ必要になる費用をどこから捻出するのかなど、予め準備しておくことができる時代になりました。

 

「介護なんてまだまだ先の事」

こうした考えは今すぐ捨てましょう。介護は一度始まると、いつ終わるか分かりません。介護する側もされる側も疲れきってしまわないために、「介護殺人」という悲しく辛い出来事を繰り返さないためにも、近い将来に向けての準備を今から少しずつ始めていきましょう。

 

 

【エピローグ】 もし、このようにお考えなら

 

超高齢化社会を迎え65歳以上の人口が約4人に一人となった現在の日本では、社会問題と化した「介護」がもはや避けては通れないリスクとなりました。その課題の中心にあるのが「担い手問題」「費用負担問題」の二重苦であり、いずれも現役世代の皆さんに降りかかってくる問題です。

今や7割を占める夫婦共働き世帯においてどちらかが担い手になれば、それは同時に収入ダウンを意味することになります。また、費用は親の年金で何とかなると考えている方が多く、直面して初めて頭を抱える方が少なくありません。

 

《参考》

介護費用(月平均)8.3万円/生命保険文化センター「令和3年度生命保険に関する全国実態調査」

厚生年金(月平均)14.6万円、国民年金(月平均)5.6万円/厚生労働省「厚生年金保険・国民年金事業の概況(令和2年度)」

 

他方、本来なら頼りにしたい社会保障も財政難に直面しており、国民の負担は増加傾向にあります。

 

《参考》

利用者の自己負担割合:創設時( H12年度)1割から、現役並みの所得がある場合は3割へ(H30年8 月制度改定)

40~64歳の月平均介護保険料:H12年度 2,075円から、令和2年度 5,669円に増加/厚生労働省「介護保険制度をめぐる最近の動向について」

 

かかる状況下、生活苦に伴うストレス等を原因に殺人まで惹起する深刻な問題である一方で、現役世代の大半は目の前の生活に追われ何ら対策を講じていないことも多く、実際に介護が発生してから後悔する方が後を絶ちません。

 

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