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そもそも、保険のルーツは?財布の中に何人もいると嬉しいあの諭吉さんが!?

保険制度は相互扶助の考えが元に成り立っており、加入者がお金を出し合い、加入者自身の身に怪我や病気、事故などが発生した際に保障を行う仕組みです。

 

現代の日本には自動車保険、生命保険、がん保険など多種多様な保険が存在し、毎日のようにCMや看板で広告を目にします。

 

ここまで身近な存在となった保険ですが、いつ、誰が保険という制度を始めたのか、案外そのルーツを知らない方も少なくないのではないでしょうか?

 

そこで今回の記事では、保険のルーツについて解説するとともに、そこから見えてくる本来の役割についても解説していきます。

保険を日本に紹介した歴史上の人物とは?

 

日本に初めて保険を紹介した人物をご存じですか?

実は、皆さんもお財布の中に居てくれるときっと嬉しい、かの有名な「福沢諭吉」です。

 

福沢諭吉は言わずと知れた慶應義塾の創始者で、1984年から一万円紙幣に肖像画が採用されている偉人です。

 

その福沢諭吉と保険の関係は意外に知られていませんが、1867年(慶応3年)に自身の著書『西洋旅案内』で日本に初めて保険を紹介しています。

 

ちなみに、『西洋旅案内』は福沢諭吉が1867年に渡米した経験をもとに書き上げた上下2巻からなる書物で、西洋の食事の礼儀作法や洋式トイレの使い方などを記した実践的な西洋旅行のガイドブックだったようです。

 

そこでは、保険について下記のように記されています。

 

災難請合(さいなんうけあい)とは商人の組合ありて平生無事の時に人より割合の金を取り万一其人へ災難あれば組合より大金を出して其損亡(そんもう)を救う仕法(しほう)なり其大趣意は一人の災難を大勢に分ち僅の金を棄て大難(たいなん)を遁(まぬが)るる訳にて…(※以下略)

(引用元):『西洋旅案内』

 

難しい言葉が使われていますが、現代風に翻訳すると、

 

保険とは、商人の組合のなかで平穏無事に過ごしている時にお金を集め、万が一その中の誰かにトラブルがあれば、組合から大きなお金を出してトラブルによる損害を救う仕組みです。

 

コンセプトとしては、一人のトラブルをみんなで分け合い、少しのお金を捨てて、大きな災難から免れようというものです。

 

当時の福沢諭吉は、保険についてこのように説明しています。

 

 

日本で初めて保険会社を作ったのは福沢諭吉の門下生

 

福沢諭吉が保険を紹介した僅か十数年後、1881年に日本初の生命保険会社が設立されます。

 

その日本初の生命保険会社にも福沢諭吉は少なからず関係しています。

 

実はこの生命保険会社を設立した人物は、福沢諭吉の門下生である阿部泰蔵(あべたいぞう)(嘉永2年(1849年)愛知県生まれの実業家。慶応1年(1865年)慶応義塾に入る。)だったのです。

設立した生命保険会社は後の「明治生命」となります。

 

今では当たり前の話ですが、加入の時に健康状態を調べる身体検査や不健康な人が加入できないことが理解されず一部の発起人が辞退するトラブルもあったようです。

 

それから100年以上経った現代でも「保険で損をしたくない」とか「健康じゃないと入れないでは意味がない」など、生命保険が正しく理解されていない状況があります。

 

多くの人間が保険の存在すら知らない時代に会社を立ち上げ広めていくのは想像を超える苦労があったはずです。

 

日本ではこのようにして保険という文化が根付いていくわけですが、西洋での歴史はさらに前に遡ります。

 

中世ヨーロッパの同業者組合である「ギルド」において、ケガや病気で働けなくなった人や残された遺族を助けるために始まったと言われています。

 

また、長い航海へ向かう船乗り達が無事に帰って来られるか賭けをしたことが始まりという説もあります。

 

17世紀にはイギリスの寺院で香典を出すために毎月決まったお金を払い込んで備えるなどしていました。

 

この頃は一律のお金を集めていたので、参加する人が減ったりすると仕組み自体が上手くいかず、潰れてしまうこともあったようです。

 

18世紀になりハレー彗星で有名な天文学者エドモンド・ハレーが年齢における死亡率を計算することができる「生命表」をはじめて作成しました。

 

「生命表」をもとに合理的な保険料の計算ができるようになったため、保険制度の公平性が保たれるようになり普及していったと考えられています。

 

 

福沢諭吉が説いた保険の役割

 

現在の保険に対して「保険で損をするのは勿体無い」「そもそも保険は無駄」などの意見も少なくありません。

 

しかし、これは当時福沢諭吉が説いた保険の役割とずれているようにも感じます。

 

福沢諭吉は著書『西洋旅案内』にて、「其大趣意は一人の災難を大勢に分ち僅の金を棄て大難(たいなん)を遁(まぬが)るる訳にて」と説明しています。

 

文頭の趣意とは、何かをする時の考えや意見、目的を意味しています。

 

つまり、保険の大きな目的は一人のトラブルをみんなで分け合い、少しのお金を捨てて、大きな災難から逃げる事であると言っています。

 

未来に何が起こるか予想するのは困難であり、将来のトラブルは起こるかもしれないし、起こらないかもしれません。

思わぬ事故に遭ってしまうかもしれませんが、その被害を事故に遭った本人だけでどうにかするというのは、あまりにも厳しい話です。

 

それならば、「皆で少しずつ負担を分け合ってトラブルに備える」、言い換えれば「皆で少しずつ損をして、大きな損はしないように助け合おう」という意味合いであると理解できます。

 

福沢諭吉は僅かな損で皆が安心して暮らせる良い制度だと感じ、西洋文化と一緒に保険を紹介したのではないでしょうか?

 

 

まとめ

今回の記事では、保険のルーツや保険本来の役割について解説させて頂きました。

 

福沢諭吉が日本に初めて紹介した保険は、“少しのお金”を捨てることで、“大きなトラブル”を回避することを目的としています。

 

ところで、今回の解説をご覧になって、皆さんは今このようにお考えではありませんか?

 

「諭吉さんが言う“少しのお金を捨てて”なら、助け合いの精神も理解できる」
「いま加入している保険は”少しのお金”ではない」

 

確かに、現代の「保険」は場合によっては決して“少しの”とは言い難い金額にもなっていることと思います。

 

では、なぜ福沢諭吉が説いた「保険とは」という本来の姿から乖離してしまったのでしょうか?
なぜ、同じ保障でも各社によって保険料に差があるのでしょうか?

 

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そもそも、保険会社によってあんなに保険料が違うのはなぜ?

 

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